今年も桜が咲きました。
かつて武士達は満開に咲き誇り、刹那に花びらを散らす桜の花に、自分達の人生哲学を見たそうです。
私は人生哲学は見れませんが、7年前の春を昨日のように思い出します。
◆◆◆
「私は手を上げました」
昔の私は消極的な小学生でした。委員長もクラブの部長もやりませんでした。
担任は私や同じような友人達を「そんな奴らにロクな進路は無い」と評しました。
中学校に入学した最初の日
委員決めをする最初の学活の時間
学級委員を決める瞬間
私は手を挙げました。
歪んだ偏見に反抗するために。
自分を変えるために。
七年前の春でした。
教室の窓からは校庭の南にある桜が満開の花を見せていました。
…半年後、学級委員をしていると、生徒会執行部への誘いがありました。
私は庶務になりました。
…一年後、引き継ぎの為に、生徒会長になる機会がありました。
私は生徒会長になりました。
…更に一年と数ヶ月後―――高校受験の真っ最中―――都立高校入試の自己PRカードに「自分は生徒会で二年間、学校行事全てに関わった。高校生になったら、中学校に無かった文化祭の実行委員をやりたい。」と書きました。無論本心からです(笑)
少し生徒会活動にうんざりしてたからこんな気持ちになったのでしょう。
私はPRカードを出した高校に入学しました。
◆◆◆
「夢中」
このカードに書いた希望はそのまま実行しました。このHPを見てくれている皆さんもよく知っているかもしれません。
実行委員になった私の役職は広報係でした。総務部と繋がりが深く、実行委員会の中心へ「潜り込む」ことに成功しました。一、二年時はクラスで劇。三年はクラスでスタンプラリーを企画。また実行委員有志で自主映画も作りました。生徒会長だった時の知識、ノウハウが役立ったのを良く覚えています(笑)失敗、喜び、落胆、達成感。全てが充実していました。
高校三年間、ずっと私は文化祭実行委員に夢中。
あまりに夢中になりすぎて大学受験は浪人しました(泣)
浪人し、予備校で最初に話し掛けてきた友人が、私が四月から通う大学の付属高校出身の人でした。彼が色々話してくれたから、志望校の一つになったのです。
大学に合格しました。そしてつい先日、そのお祝いを兼ねて文化祭実行委員OB・OGで同窓会がありました。プレゼントに知恵の輪をもらったり…世間話をしたり…他愛もないことですが、私にとってはすごく幸せな瞬間でした。
◆◆◆
「もしも・・・・」
もしも7年前の春、反抗心と向上心が私に挙手をさせなかったら…
庶務にも会長にもならなかったわけです。
もしも庶務にも会長にもならなかったら・・・
高校で文化祭実行委員をやろうとも思わなかった無かったわけです。
もしも文化祭実行委員をやろうと思わなかったら・・・
劇で女装したり、スタンプラリーを企画したり、自主映画を撮ることも―――それどころか、別の高校に行ってたかもしれない―――無かったわけです。
もしも文化祭に没頭して浪人し、彼に出会っていなかったら・・・
四月から通う大学を受験すらしてなかったわけです。
もしも七年前に手を挙げなかったら・・・
先日同窓会で再会した、大事な友人達と巡り会うこともなかったわけです。
◆◆◆
「運命、機会、変化、桜」
全てはあの日、あの瞬間、手を挙げた時から始まったのです。
七年前の春は私にとって運命の歯車が回り始めた春でした。
振り返れば、これらの行程が全て成功に満ち溢れた内容ばかりではありませんでした。浪人時代は勿論、文化祭実行委員や生徒会長の時も大失敗、大失態のオンパレードでした。恥ずかしいモンです。
でもね
小学校の担任が言った『ろくでもない将来』ではなかった。
これほど充実した七年間を幸福以外の何と呼べば良いでしょうか?
桜の花は、私にそんな事を思い出させ、そんな事を考えさせるのです。
そしてこれからも、この運命の歯車は回り続けます。
あるいは更に新しい運命の歯車のスイッチを入れる機会があるかもしれません。
私は回り続ける運命を信じたい。
私は新たに見つかる機会を無駄にしない。
私は変化を恐れたくない。
あの日、胸を高鳴らせ手を挙げた後、教室の窓から見えたあの桜は、今年も綺麗に咲いています。
はっきり言うと、このブログのテーマはありふれたテーマ──「生きること」です。
対照的なふたりの主人公を通して、ふたつの生き方を見つめたいと思います。「人間」と「人間以外のもの」 との闘いを通して、人間讃歌をうたっていきたいと思います。
このブログがみなさんに喜びを与え、気に入ってもらえますように。
──それでは、どうぞ。
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